2010年06月25日
登りはじめの山
就職先の同期は学生時代から比べ自然が好きとか、アウトドア好きな人が大勢いた。
何度か同期会をするうちに、皆で上高地へ行ったりキャンプを計画した。
中には登山経験者もいて、そのうち山に登ってみようと言うことになってまずは近場の丹沢大山に登ることに。
登山口ちょっと下にある日向薬師に車を止めて(もっと上に駐車場があるのを忘れていた)歩いた。
が、当時新社会人成り立てで疲れてる上にろくな運動をしてなかった私は早くも登山口で疲れてしまったが何とか上を目指して歩いた。
この大山、ケーブルカーで上がれば頂上は近いが日向薬師側には九十九曲がりの急カーブ地獄や上部には階段地獄があって、なかなか辛い。
必死の思いで登頂し下山、登山の帰りは温泉!と思ったら時刻が遅すぎてどこも入れず。
翌日はひどい筋肉痛で、
「何なんだ登山て!もう絶対登りたくないっ!」
と苦い思い出となった。
人の記憶とは不思議なもので、あまりにも強烈だった登山の思い出は徐々に美化されていった。
もう1回あの頂上の景色が見たい。
長野・山梨の山に行けば観光もできる。
今度は温泉に入るぞ!
慣れない社会人生活で疲労は溜まるばかり、でももう一度登ってみたい。
そんな思いで実現した次なる登山は大菩薩峠。これは電車で行くことにした。
塩山駅からバスで入り、大菩薩峠~大菩薩嶺~丸山峠の周遊コースをたどった。
温泉にもありつけた。うん、面白い!登山て面白いや!
すっかり登山に魅せられた私は通勤途中に登山洋品店を見つけ、せっせと仕事後通うことになる。
さすがに頻繁にくるのが珍しかったのか、店員さんは私の事を覚えてくれたようだった。
日帰り登山用の25㍑ザックを購入した頃だっただろうか、店員さんが山に誘ってくれた。
店員さんとそのお友達や私のようなお客さんもいると言う。
場所は金時山。
その頃同期仲間ではそれ以上山にのめりこむ人は無し、山の仲間が欲しかった私は二つ返事でOKした。

何度か同期会をするうちに、皆で上高地へ行ったりキャンプを計画した。
中には登山経験者もいて、そのうち山に登ってみようと言うことになってまずは近場の丹沢大山に登ることに。
登山口ちょっと下にある日向薬師に車を止めて(もっと上に駐車場があるのを忘れていた)歩いた。
が、当時新社会人成り立てで疲れてる上にろくな運動をしてなかった私は早くも登山口で疲れてしまったが何とか上を目指して歩いた。
この大山、ケーブルカーで上がれば頂上は近いが日向薬師側には九十九曲がりの急カーブ地獄や上部には階段地獄があって、なかなか辛い。
必死の思いで登頂し下山、登山の帰りは温泉!と思ったら時刻が遅すぎてどこも入れず。
翌日はひどい筋肉痛で、
「何なんだ登山て!もう絶対登りたくないっ!」
と苦い思い出となった。
人の記憶とは不思議なもので、あまりにも強烈だった登山の思い出は徐々に美化されていった。
もう1回あの頂上の景色が見たい。
長野・山梨の山に行けば観光もできる。
今度は温泉に入るぞ!
慣れない社会人生活で疲労は溜まるばかり、でももう一度登ってみたい。
そんな思いで実現した次なる登山は大菩薩峠。これは電車で行くことにした。
塩山駅からバスで入り、大菩薩峠~大菩薩嶺~丸山峠の周遊コースをたどった。
温泉にもありつけた。うん、面白い!登山て面白いや!
すっかり登山に魅せられた私は通勤途中に登山洋品店を見つけ、せっせと仕事後通うことになる。
さすがに頻繁にくるのが珍しかったのか、店員さんは私の事を覚えてくれたようだった。
日帰り登山用の25㍑ザックを購入した頃だっただろうか、店員さんが山に誘ってくれた。
店員さんとそのお友達や私のようなお客さんもいると言う。
場所は金時山。
その頃同期仲間ではそれ以上山にのめりこむ人は無し、山の仲間が欲しかった私は二つ返事でOKした。

2010年06月08日
山に親しむきっかけ話
これから不定期ですが、私が登山・クライミングを始めるにいたった軌跡・山の思い出をUPしていきたいと思います。
懐かしくも、つい最近のようです。
***********************
最初に、私は地元社会人山岳会の門をたたきました。
「そんなに若いのに、どうして登山が好きになったの?
山よりもっと楽しい事が街にたくさんあるのに、よく興味をもったね・・・」
入会理由を色々聞かれました。珍しがられました。
でも今考えてみれば、私にとっては自然のことだったのかもしれません。
私の両親は共に田舎育ち。
私は物心付く前から週末ごとに両親に連れられ、丹沢周辺に行くようになっていました。
春は山菜採り、夏は川泳ぎやバーベキュー、一年を通しては釣りやよくわからない道の散策。そのほとんどは今宮が瀬ダムの底となっているところです。道志道周辺や富士五湖にも何度も行きました。
夏になると必ず家族で信州へ旅行に出かけていました。
父の会社の保養所があったのもあります。
そこをベースとして乗鞍・上高地・蓼科・美ヶ原・野辺山・・・と信州ばかりを旅していました。
今思うとよく毎年飽きずに通ったものです。
しかしこれが、今後の私の土台となったのではと思います。
いつも見る八ヶ岳、北アルプスの山々・・・、これは見ることしかできないのか?
私たち家族の旅行と言うといつも麓を車で駆け抜け、観光地と化した高原のスポットを巡るだけ・・・。
そんな思いがあっても親に連れられ自力で来ることのできない自分では、疑問を漠然と持つだけでした。
それが就職した春、実際に山に触れる=登山にめぐり合うきっかけが訪れたのです。
つづく。

懐かしくも、つい最近のようです。
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最初に、私は地元社会人山岳会の門をたたきました。
「そんなに若いのに、どうして登山が好きになったの?
山よりもっと楽しい事が街にたくさんあるのに、よく興味をもったね・・・」
入会理由を色々聞かれました。珍しがられました。
でも今考えてみれば、私にとっては自然のことだったのかもしれません。
私の両親は共に田舎育ち。
私は物心付く前から週末ごとに両親に連れられ、丹沢周辺に行くようになっていました。
春は山菜採り、夏は川泳ぎやバーベキュー、一年を通しては釣りやよくわからない道の散策。そのほとんどは今宮が瀬ダムの底となっているところです。道志道周辺や富士五湖にも何度も行きました。
夏になると必ず家族で信州へ旅行に出かけていました。
父の会社の保養所があったのもあります。
そこをベースとして乗鞍・上高地・蓼科・美ヶ原・野辺山・・・と信州ばかりを旅していました。
今思うとよく毎年飽きずに通ったものです。
しかしこれが、今後の私の土台となったのではと思います。
いつも見る八ヶ岳、北アルプスの山々・・・、これは見ることしかできないのか?
私たち家族の旅行と言うといつも麓を車で駆け抜け、観光地と化した高原のスポットを巡るだけ・・・。
そんな思いがあっても親に連れられ自力で来ることのできない自分では、疑問を漠然と持つだけでした。
それが就職した春、実際に山に触れる=登山にめぐり合うきっかけが訪れたのです。
つづく。
